...下学集より五十三年の后(のち)明応(めいおう)五年林宗二(堺の町人)節用集(せつようしふ)を作り...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ...
太宰治 「津軽」
...明応五年には実隆も堪忍しかねたらしく...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...日記明応五年四月の条に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応ごろに中村宮千世丸という名前が同五年三月の日記に見えておる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年ごろ玉泉という者をもってこれに任じたことがあり...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...しかるに明応五年美濃の喜田城陥落し...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応七年五月の春成公用は二千疋とあるが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応五年閏二月中旬...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...のみならず舅教秀の歿した明応五年の九月と十月と...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応二年には美作権介(みまさかごんのすけ)を兼ね...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年に新板の出来たのでも知れる...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...明応四年修撰に関して兼載との葛藤のあった際に...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...実隆は延徳、明応の交、年貢未進で三条西家を困らした越前田野村からの取立てをそのころ北国通いをした宗祇を経て、朝倉家に依頼し、若干の収納を得たことがある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...また明応四年八月の「大内家壁書」の中に用いられているものであるが...
穂積陳重 「法窓夜話」
...明応は僅(わずか)に昨日と過ぎて...
正岡子規 「古池の句の弁」
...明応七年兵燹(へいせん)にかかりて枯しを社僧祠官等歌よみて奉りたれば再び栄生せりといへり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...鬼子の最も怖ろしい例としては、明応七年の昔、京の東山の獅子(しし)が谷(たに)という村の話が、『奇異雑談集(きいぞうだんしゅう)』の中に詳しく報ぜられている...
柳田国男 「山の人生」
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