......
饗庭篁村 「木曾道中記」
...時実に寿永三年正月二十日、粟津原頭、黄茅蕭条として日色淡きこと夢の如く、疎林遠うして落葉紛々、疲馬頻に嘶いて悲風面をふき、大旗空しく飜つて哀涙袂を沾す...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...唐崎(からさき)はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田(かただ)も石山も粟津(あわづ)もすべて判らず...
寺田寅彦 「東上記」
...粟津(あわづ)に来た時は...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...木曾(きそ)義仲(よしなか)が討死した粟津が原です」と余は大きな声して先きの車を呼んだ...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...が折悪しく旅行の留守とかで粟津水棹氏が応接せられた...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...雨近江路の秋田はろかに見はるかす彦根が城に雲の脚垂れぬ石山寺附近蜆とる舟おもしろき勢多川のしづけき水に秋雨ぞふる粟津秋雨に粟津野くれば葦の穗に湖靜かなり遠山は見えず逢阪を越えて山科村に至り...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...誠に『太平記』の秀郷竜宮入りはこの粟津冠者の譚から出たのだ...
南方熊楠 「十二支考」
...それから京都東本願寺家(ひがしほんぐわんじけ)の粟津陸奥之助(あはづむつのすけ)と云ふものに...
森鴎外 「大塩平八郎」
...「粟津(あわづ)の戦(いくさ)で...
吉川英治 「新書太閤記」
...やがて粟津(あわづ)で野たれ死に同様な最期をとげるなど――およそ武門のよい手本じゃ...
吉川英治 「新書太閤記」
...粟津(あわづ)の方へ進んでいた...
吉川英治 「新書太閤記」
...多くは、途中で討たれたか、或いは負傷したものだろうが、粟津の辺で、有力な敵の部隊に味方を中断され、それからは四分五裂となって来た結果である...
吉川英治 「新書太閤記」
...彼の粟津ヶ原の戦死の状は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...さいごの粟津ヶ原の日まで...
吉川英治 「随筆 新平家」
...義仲の粟津ヶ原の戦死も...
吉川英治 「随筆 新平家」
...粟津ヶ原で、今井兼平とわずか二騎となって、あわれな討死をとげたと聞えた時は、何とはなく、戦捷(せんしょう)の将士も、儚(はかな)いものを思わせられた...
吉川英治 「源頼朝」
...たとえば、原は、たかはら、甕原(みかのはら)、あしたの原、その原、萩原、粟津のはら、なし原、うなゐこが原、安倍のはら、篠原...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
ランダム例文:
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??
- 野球選手の佐々木朗希さん: メジャーで自己最悪の7失点を喫した投手 😓
- 野球選手の新庄剛志さん: サッカー日本代表ユニホームで登場し、W杯開幕の盛り上がりを演出 ⚾
- アナウンサーの本仮屋リイナさん: 第3子女児を自宅出産したことを報告しました。 👶
時事ニュース漢字 📺
