...義仲の勢、死戦して之に当り、且戦ひ、且退き、再、院の御所に至れば、院門をとぢて入れ給はず、行親等の精鋭百余騎、奮戦して悉く死し、彼遂に囲を破つて勢多に走る、従ふもの僅に七騎、既にして、今井四郎兼平敗残の兵三百余を率ゐて、粟津に合し、共にをならべて北越に向ふ...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...彼の粟津に敗死するや...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...而して其天下に馳鶩したるは木曾の挙兵より粟津の亡滅に至る...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...三四日粟津(あはづ)に滞在した...
芥川龍之介 「六の宮の姫君」
...芭蕉五十二にして粟津の義仲寺に葬(はうむ)る時招(まねか)ざるに来る者三百余人...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...粟津(あはづ)が原の習々たる青嵐も今日のごとく電車の響のためにその自然の諧音を亂されなかつたであらう...
近松秋江 「湖光島影」
...唐崎(からさき)はあの辺かなど思えど身地を踏みし事なければ堅田(かただ)も石山も粟津(あわづ)もすべて判らず...
寺田寅彦 「東上記」
...粟津(あわづ)に来た時は...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...が折悪しく旅行の留守とかで粟津水棹氏が応接せられた...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...「粟津原...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...例えば粟津(あわづ)村井(い)の口(くち)の弘法の池は...
柳田國男 「日本の伝説」
...粟津(あわづ)明神の裏に立つと...
山本周五郎 「失蝶記」
...やがて粟津(あわづ)の岸を占領してからは...
吉川英治 「私本太平記」
...「粟津(あわづ)の戦(いくさ)で...
吉川英治 「新書太閤記」
...多くは、途中で討たれたか、或いは負傷したものだろうが、粟津の辺で、有力な敵の部隊に味方を中断され、それからは四分五裂となって来た結果である...
吉川英治 「新書太閤記」
...志賀粟津(しがあわづ)の里も...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...粟津ヶ原で、今井兼平とわずか二騎となって、あわれな討死をとげたと聞えた時は、何とはなく、戦捷(せんしょう)の将士も、儚(はかな)いものを思わせられた...
吉川英治 「源頼朝」
...たとえば、原は、たかはら、甕原(みかのはら)、あしたの原、その原、萩原、粟津のはら、なし原、うなゐこが原、安倍のはら、篠原...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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