...又提要に爾雅の出來たのは詩傳を作つた毛亨以後であるとし、大體小學家が舊文を綴輯し、遞に相増益したもので、周公孔子といふは皆依託の詞であると言つてゐるのは然るべきことであるが、揚雄の法言に爾雅を以て孔子の門徒が六藝を解釋したものとしてゐるのも、王充の論衡に爾雅は五經の訓詁であるといつてゐるのをも排して、爾雅の五經を釋するは十の三四にも及ばず、又專ら五經の爲めに作つたものでもないと言ひ、楚辭、莊子、列子、穆天子傳、管子、呂氏春秋、山海經、尸子、國語等と同じ語のあるのは盡く爾雅がこれらの書から取つたのであると解し、爾雅は本來方言急就の流であるが、説經家が古義を證するに都合がよい所から之を經部に列するに至つたに過ぎないといふやうに批判してゐる...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...汲冢の竹書――汲郡の塚から竹書紀年・穆天子傳などの書が出た...
内藤湖南 「支那目録學」
...穆王満五十三年壬申にあたりて入滅したまふ...
三木清 「親鸞」
...呉郡の休穆(きゅうぼく)...
吉川英治 「三国志」
...穆順はゾッとして毛孔(けあな)をよだてた...
吉川英治 「三国志」
...穆順の衣服を剥(は)いで...
吉川英治 「三国志」
...伏完の一門から穆順の一族縁類の端まで...
吉川英治 「三国志」
...弟のほうは穆春(ぼくしゅん)...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆家(ぼくけ)の宴で聞いた「潯陽江頭(じんようこうとう)……」の忘れがたい一曲など思い出して...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆家の乙女(おとめ)の比ではない...
吉川英治 「新・水滸伝」
...そして、先に白龍廟で結んだ義の誓いを、さらに杯の上で固め、穆家の資産も、土地を置き残したほかはすべて十数輛(りょう)の車に移したのである...
吉川英治 「新・水滸伝」
...そこへまた李俊、宋万、穆弘(ぼくこう)、張黄(ちょうおう)、張順、穆春、侯健、蕭譲(しょうじょう)、金大堅らも加わり、李逵の一と組をあわせると、約三、四十名の顔合せとなったわけ...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆弘(ぼくこう)...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆弘(ぼくこう)は本丸ざかいの三の木戸...
吉川英治 「新・水滸伝」
...史進と穆弘(ぼくこう)じゃないか...
吉川英治 「新・水滸伝」
...ご一同は先へ行ってください」――言い出したのは穆弘(ぼくこう)である...
吉川英治 「新・水滸伝」
...穆弘(ぼくこう)にあとをまかせて...
吉川英治 「新・水滸伝」
...「穆弘の話を聞くと...
吉川英治 「新・水滸伝」
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