...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
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饗庭篁村 「木曾道中記」
...明(あ)くれば治承四年...
高山樗牛 「瀧口入道」
...治承の乱に南都東大寺が焼失した...
中里介山 「法然行伝」
...此年は吾妻鏡が筆を起せる治承四年より算すれば四十七年目にして...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...重忠治承四年以來...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...第一部 治承四年より承元前後まで此部は諸家の記録及故老の物語を參照して日記體に編述せし者なるべく吾妻鏡中趣味尤津々たれども從ひて潤飾の跡多く北條氏の爲に曲筆をなせし個所少からず第二部 建暦前後より延應の前後まで此部は追記の個處も曲筆も第一部よりは少し...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...既に前にもほととぎす治承寿永の歌を出したが...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...朝廷では、万一このたびの東征にやぶれでもしたら、建武新政の緒(しょ)も根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝追罰(ついばつ)のさいに、三位惟盛(これもり)をつかわされたさいの仕(し)きたりは不吉であった、よろしくこんどは天慶(てんぎょう)承平の例に倣(なら)うべきであるというところから、特に、義貞へは節刀(せっとう)を賜わり、やがて、三(み)たびの万歳の唱(とな)えのうちに、華々(はなばな)と、彼のすがたは大内を退出してきた...
吉川英治 「私本太平記」
...治承(じしょう)四年だ」「貴公たちは...
吉川英治 「親鸞」
...すぐ治承(じしょう)のむかし――もう二十幾年か前になったころの悲痛な社会事件を...
吉川英治 「親鸞」
...その源氏が、隆々と興って、治承、寿永の世にわたって、平家を剿滅(そうめつ)して行ったころには、源平両軍が戟(ほこ)を交(まじ)えるところに、佐々木三郎盛綱(もりつな)の名が功名帳に輝かないところはなかった...
吉川英治 「親鸞」
...平家物語の治承・寿永の世には...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...治承二年には、皇子言仁(ことひと)(後の安徳帝)の降誕もあって、清盛は一躍、皇室の外祖父という地位にたち、法皇にも、鹿ヶ谷事件のクロ星からは、彼との協調を表面とし、ここしばらくは、雲を呼び風を起こすのお動きもありません...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承四年八月十七日から七日目のことである...
吉川英治 「随筆 新平家」
...水鳥でなく治承四年から養和へかけての飢饉である」と科学的な気象統計を玉葉から引いて傍証としている...
吉川英治 「随筆 新平家」
...一応、義仲を措(お)いて、この回からは、治承五年の正月、高倉上皇がお亡くなりになった直後の都へ、筆をかえしてゆく...
吉川英治 「随筆 新平家」
...なんといっても、治承四年に、平氏と南都の興福寺とが、ここで戦ったのは、双方共に、いい歴史をのこしたものとはいえない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承四年の兵火と...
吉川英治 「随筆 新平家」
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