...それから義塾の矢野文雄(やのふみお)...
大隈重信 「福沢先生の処世主義と我輩の処世主義」
...文雄もこのことを喜び...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...とりあえずそれまでの一月を最後の孝養として文雄がそちらの店番をすることになり...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...文雄は正月四日神戸を出帆して南米に向かいました...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...Engels, F. : Anti-Dhring(長谷部文雄訳)...
戸坂潤 「現代唯物論講話」
...故に現内閣は、形式に於ては憲政党の内閣なりと雖も、其実質に於ては則ち、進歩自由両党の聯立内閣なりと謂はざる可からず、唯だ夫れ然り、此を以て大隈伯はたとひ現内閣の総理たるも、憲政党は未だ大隈伯を中心とせざるの事実あるに於て、現内閣は決して世人の予期したる如き理想的大隈内閣に非るは、復た言ふを俟たず、然らば理想的大隈内閣とは何ぞや名実共に大隈伯を首領としたる党与に依て組織せらるゝもの是れなり、蓋し伯も亦曾て此冀望を抱て多数の俊髦を糾合したること此に年あり其徒沼間守一、小野梓、藤田茂吉等諸氏は、既に故人に属すと雖も、尚ほ矢野文雄、島田三郎、犬養毅、尾崎行雄の四氏旧に仍て意気軒昂たるあり、加ふるに鳩山和夫、大石正巳、加藤高明等の如き、伯と深縁あるもの亦之れなきに非ざるが故に、其多士済々たる、以て優に理想的大隈内閣を組織するに余りあらむ然るに現内閣中純然たる大隈派と目す可きものは、僅に尾崎、大石の両氏あるに過ぎずして、其他の閣員は、皆大隈伯と政治上の経路を異にしたる人物なり、是れ豈世人の予期したる如き大隈内閣ならむや...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...主として矢野文雄(やのふみお)であるといわれている...
蜷川新 「天皇」
...長男の文雄だけは方略の論文を書いて試験に及第し...
久生十蘭 「無月物語」
...それはみなの心にあって口には出さずにいたことだったが、こういう日々が永久につづけばいいというのは誰しもが願うところだったので、文雄が、「父帝(ちちみかど)(後白河法皇)へお願いしてみよう」といい、このうえとも泰文が家名を傷つけぬよう、京へ帰さずに長く敦賀へとめおかれるようにという願文をつくり、兄弟三人の連名で上書した...
久生十蘭 「無月物語」
...到着まで丹羽文雄の「薔薇合戦」を読む...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...丹羽文雄氏は、新作家のうちでは女の描写にすぐれ、女を描いて新時代の影をうつすことに巧みな人ときいたが、この作では別段特にすぐれてゐるとは思はれなかつた...
牧野信一 「浪曼的月評」
...次に井上文雄の『調鶴(ちょうかく)集』を見てまた失望す...
正岡子規 「曙覧の歌」
...金星堂のは松山文雄さんに表幀たのみます...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...釈文雄(しやくぶんゆう)以来一人也」と註してある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文雄の事は細説を須(ま)たぬであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それから井上文雄と云ふ先生があります...
森鴎外 「假名遣意見」
...丹羽文雄君なんかは...
吉川英治 「親鸞聖人について」
...考えてみると、ぼくの寝た日本間にも、半双の屏風が立ててあり、それには、石川達三、中野好夫、久保田万太郎、丹羽文雄、亀井勝一郎、横山泰三、かつての文春座文士劇のおりにでも書いたのだろうか、ちょっと判断もつかないような顔ぶれが十数名も入り交じって寄せ書きしていた...
吉川英治 「随筆 新平家」
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