...すなわち明治七年の三月十日で文久三年の三月十日に師匠へ弟子入りをしてから正に丸十一年で(礼奉公が一年)年明けすなわち今日の卒業をしたのでありました...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...薗八節稽古本の板木(はんぎ)は文久(ぶんきゅう)年間に彫ったものだ...
永井荷風 「雨瀟瀟」
...国芳は文久元年を以て世を去るや...
永井荷風 「江戸芸術論」
...文久二年、ローマのペトロ大聖堂で、公式の日本二十六聖人の祝祭が行なわれ、毎年二月五日、世界の教会がこの祭りをするようにとの教皇の詔(みことのり)が出た...
永井隆 「この子を残して」
...趣意もつけられねえ腹の子供がどうなつてもえゝつて云ふんぢや向の身に成つても隨分酷かんべと思ふんだな」「趣意なんざあ文久錢一文でもおら出せねえよ...
長塚節 「芋掘り」
...文久二年大槻磐渓先生の重刻になるもので...
中谷宇吉郎 「『雪華図説』の研究」
...文久二年の横浜寄港船名表中に...
服部之総 「汽船が太平洋を横断するまで」
...文久二年十一月の日付のある函館英国領事の書簡(パスク・スミス氏『日本及び台湾における西夷』)は記しているが...
服部之総 「尊攘戦略史」
...文久三年中にすでに決定されていたということができる...
服部之総 「尊攘戦略史」
...文久のはじめごろは猫も杓子も万年青つくり...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...それからすこしあがったあたりと右の脇腹のところに甚松の身体にあったような文久銭ほどの赤痣が罌粟(けし)の花のように赤くクッキリと残っている...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...例えば文久二年欧行の船中で松木弘安(まつきこうあん)と箕作秋坪(みつくりしゅうへい)と私と三人...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...文久三年九月に留守居となり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...伊沢分家の人々は後に文久中に至るまで住んだ家が即ち当時の家だと云つてゐるが...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「文久三年癸亥七月七日の...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文久元年の夏深川に仮宅のある時であった...
森鴎外 「細木香以」
...文久元酉年(とりのとし)七月二十四日...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...文久元年辛酉、十五歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
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