...承元四年庚午...
太宰治 「右大臣実朝」
...十九日、庚午、小笠原御牧の牧士と、奉行人三浦平六兵衛尉義村の代官と喧嘩の事有り、今日沙汰を経らる、此の如き地下職人に対し、奉行と称して恣に張行せしむるの間、動もすれば、喧嘩に及ぶ、偏に公平を忘るるの致す所なり、早く義村の奉行を改む可きの由仰出され、佐原太郎兵衛尉に付せらると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...十四日、庚午、晴、酉剋地震、戌剋地震、同時に雷鳴す...
太宰治 「右大臣実朝」
...二十九日、庚午、晴、申剋、尼御台所御還向、去る十四日、従三位に叙せしむる可きの由宣下、上卿三条中納言即ち清範朝臣を以て、件の位記を三品の御亭に下さる、同十五日、仙洞より御対面有る可きの由仰下さると雖も、辺鄙の老尼竜顔に咫尺すること其益無し、然る可からざるの旨之を申され、諸寺礼仏の志を抛ち、即時下向し給ふと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...わたしの手もとにあるのは明治三年庚午(こうご)初春荒木氏編輯(へんしゅう)...
服部之総 「武鑑譜」
...明治三年庚午(かのえうま)一一月二七夜...
福沢諭吉 「中津留別の書」
...本庁の附属船である庚午丸(こうごまる)を使用すること...
本庄陸男 「石狩川」
...本船は同じく庚午丸であった...
本庄陸男 「石狩川」
...「船は開拓使の庚午丸」と相田は口を入れた...
本庄陸男 「石狩川」
...斉明(さいめい)天皇元年〈五月(さつき)の庚午(かのえうま)の朔(ついたちのひ)...
南方熊楠 「十二支考」
...後庚午の年に、再び広岡文台(ぶんたい)を訪うて其死に驚く紀事に、「凡経八年南帰」と云つてあるからである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その百四十五北条霞亭は文化七年庚午三月六日に...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此糾繩抄の文化七年庚午の下(もと)には七人の名がある...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その三百五十三庚午十二月七日後の棠軒日録を続抄する...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...庚午八月二十五日の生であつたから...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...七年庚午 平八郎十八歳...
森鴎外 「大塩平八郎」
...十月庚午(かのえうま)の日...
吉川英治 「三国志」
...元禄(げんろく)庚午(かうご)の冬...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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